土田だよ!!!

よく見つけたね!

このメッセージ、なんの意味もねえぞ!!!

悲しさが人間のエゴだとしても


こんばんは、生涯を共にする写真家つっちーです。
8月4日から6日まで群馬県の菅沼というところに行ってきました。
Lotus Root Dogs(ディスクドッグクラブ)のメンバーの撮影。

今回はその話ではなくて、
一緒に来ていたアニマルコミュニケーターの恵子さんのことを。

恵子さんの愛犬ナンナとの写真。

こんなに幸せで悲しい写真はあるんだろうか。
ナンナはこの菅沼という場所に来るまで、
歩くこともままならなくて、連れてくることを本気で迷っていたそう。
14歳という高齢で、来年来れるかも分からない。

僕は半年前に恵子さんとナンナの写真を撮っていて、
その時とは本当に別人のような姿を見るのが悲しくて。

でも、恵子さんや川ちゃんがナンナからの声を聞いた時。
ナンナは、死を怖れていないんだって。

動物たちは、死ぬことをあるがままに受け止めていて、
飼い主のことを一身に考えている。

死を悲しいものとして捉えるのは人間のエゴで。
恵子さんは自分のエゴと決別する瞬間が、僕が写真を撮った時間だと言ってくれた。

それはやっぱり恵子さんがナンナとずっと生きてきたからで。

僕には分からないたくさんの時間を、一緒に過ごしてきたからで。
自らのエゴと決別するっていう選択があったんだろうと思う。

分かる。言ってることはすごく分かる。
でも、悲しいものは悲しくて。
寂しいものは寂しくて。

半年前まで普通に歩いていたナンナと恵子さんを撮った自分には、
悲しみという感情を人間のエゴとして割り切ることがまだ出来ない。

 

その一方で、

語弊があるか分からないけど、
その中に美しさがあるのも分かっていて。

恵子さんがナンナと向き合ってきたからこそ撮れた写真だと思うし、

お互いがお互いを思っているからこその表情だった。

恵子さんがFacebookで書いていた言葉を引用してみると、

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生と死は、いつだって隣り合わせなのだと再認識。

生きるって、覚悟の連続なのかもしれない。
でも、その覚悟も愛でしかないのだろう。

一見、残酷なように見えることも、何かのイタズラかと思うことも。
望んだ覚えなど微塵もない現実も。

すべてが愛なんだ。

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その全てが詰まっているのがこの写真の表情なんだと思う。

 

悲しいのは僕のエゴだとしても、
こんなに幸せな写真を撮らせてくれて、

恵子さん、ありがとう。

動物ってすごいんだな。
そしてそれを感じて、全てを愛で包み込める恵子さんは本当にあったかくて。

涙が美しくて。

これが恵子さんの今。

ナンナの今。

変わっていってしまうけれど、この瞬間の気持ちを全力で閉じ込めた。
伝わってくれるといいな。

こんな写真を撮っていきたい。し、
生き方をしていきたい。

今を写したい。
作られたその人じゃなくて、今を生きて感じている人を撮ること。
そんなあなたの写真がプロフィール写真になったり、ブログのヘッダーになったり、
はたまた家に飾るものになったり、家族の記念になったり、

 

結婚記念になったりしたらいいと思う。

何にしても目的を持った写真じゃなくていい。

その時々を感じて、空気を吸って、
そんな写真が結果的に何かに使われたら嬉しい。

今を感じられたらいいな。

あなたはどんな生き方をしていますか?

本日もお読みいただきありがとうございました。

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